世の中は常に変わっていきます。
多くの常識と定説の中から、時代の変化とともに価値の定義を更新されており
私はこの更新も「伝統」の一つの形だと考えています。
「伝統工芸」もこういうプロセスの中で育まれて、
常に変化し更新されながら現在に繋がってきていると考えています。
この工芸の中で一つ普遍のものがあるとすれば、そこには「人」が必ず介在すること。
その根底を意識するために3年生にはあえて「用」を考えてもらっていますが
これがなかなかに奥深い。
普段日常的に使っている器などは当然「用」があります。
道具にも「用」がある
歯ブラシにも窓にも車にも服にも、世の中は「用」であふれています。
日常にある物の中で「用」の無いものを探すことが難しいほどです。
もちろん絵画や彫刻などにも「用」は存在します。
鑑賞することで心に何かを感じる人がいれば、それはある意味「用」を果たしたといえるでしょう。
上の作品は筆者が10年以上前から作っているお椀
欅材の椀に黒漆を5~6回塗り重ね、赤色で刷毛目を残して塗り、最後に全体に金箔を施したもの。
形は一般的な雑煮椀。定番中の定番の形。
そんなに数は作ってませんが作るたびに、ほとんど売れていきました。私自身も作っていて楽しいし、おすすめの一品。
ただ、この器の使い勝手は賛否両論。
とても好きと大絶賛して購入してくれる人もいれば、かっこいいけどどうやって使っていいかわからないという人もいます。
どうして?と聞くと、「金だから」というお答えが多くありました。
さて「用」ってなんなんでしょう?
いま漆の部屋の3年生たちは「用」をキーワードに頭を悩ませてくれている。
よくある言葉ですが、いざ物を造るときに気にし始めると、いろいろと考えることは多いです。
さて。今年の学生たちはどんな「用」の意識を見せてくれるか?いまから楽しみです。
芸術学部 漆工芸 特任教授 三木表悦